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山口地方裁判所下関支部 昭和47年(ワ)20号 判決

原告 私鉄中国地方労働組合山陽急行支部

右代表者委員長 竹丸光男

〈ほか一一名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 田川章次

同前 於保睦

同前 君野駿平

被告 山陽急行バス株式会社

右代表者代表取締役 後藤善九郎

右訴訟代理人弁護士 広沢道彦

主文

一、被告は、原告私鉄中国地方労働組合山陽急行支部に対し、金五万円、その余の原告らに対し、各金一〇万円、及び右各金員に対する昭和四七年二月三日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1、被告は、原告私鉄中国地方労働組合山陽急行支部に対し、金一〇〇万円、その余の原告らに対し、各金三〇万円、及び右各金員に対する昭和四七年二月三日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

3、仮執行宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

1、原告らの請求はいずれも棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

≪以下事実省略≫

理由

一、当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二、配車差別

1、配車について

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  被告会社は、下関・山口・萩間の定期路線運行と共に、貸切運行を主たる営業としているものであるが、営業方針として、貸切業務により重点をおき、顧客を獲得するために、冷房付リクライニングシートで乗心地よく上等な内、外装を施したデラックスな見栄えのする車両を注文し、これらの車両を優先的に貸切業務に用いていた。

(二)  ところで、被告会社では、従来から、所有バス一台毎にその運転担当者を定めるいわゆる担当車制をとっていたため、貸切業務にあてられることの多い前記のようなデラックスな車両(特に新車)の担当者となった者は、他の運転手と比較して貸切業務に多く従事し、ひいては出張旅費も多く得ることとなり、定期路線、貸切何れを問わず、夏季の運行には、冷房の有無により身体的、精神的疲労度に差が生じ、同様に、新車と旧い車とでは、運転操作上、身体的、精神的疲労が異なることとなり、その結果、バス運転手においては、担当車両が収入、労働環境等労働条件そのものを規定する関係にあるうえ、更に、担当車両の良し悪しが、当該運転手個人の技能、企業内外における人格的評価を示すものとして意識されていた。かくして、運転手らは、担当車両の決定につき重大な関心を示していた。

(三)  そこで、原告組合結成後は、新車購入時になされる新車の担当者の決定と旧い車両の担当者の変更について、組合が選任した自動車対策部長と被告会社の車両部長が協議(配車協議)を重ねることとし、右協議の結果に基づいて配車決定がなされていた。右協議においては、交通事故を起したこと等特別の事情がある場合は格別、それ以外の場合は、熟練度の指標である勤務年数をもとにし、

(1) 入社後一定期間経過した者には新車を配車する。

(2) 新車の配車を受ける者がそれまで担当していた車両は、勤務年数の多い者から勤務年数の少ない者へ順次受け継ぐ。

(3) 勤務年数の経過に従い、次第に冷房付リクライニングシート内外装上等装備の良い車両の担当となるようにする。

等の諸点が考慮され、おおむね公平に配車がなされていた。

2、組合分裂前後の状況

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  昭和四〇年九月購入分の新車三台については、配車協議の結果、同年九月一日、原告竹丸、同松本、訴外丸井康孝の三名に配車する旨決定された。ところが、同年九月九日、原告組合が分裂して第二組合が結成されるや、同組合の自動車対策部長に選任された訴外能美隆幸から、右配車案の白紙還元方申し入れがなされ、ここに再び両組合の自動車対策部長と被告会社の田村車両部長が協議した結果、従前の決定中原告松本に対する配車を原告伊賀崎に変更する他、右決定を維持することで決着がついた。

(二)  その後、昭和四一年三月の新車購入に伴う配車につき、前記三者で配車協議が重ねられている最中の同年一月一二日、突如として、会社案に基づいて担当車両を変更する旨の社長命令が出されるに至った。そこで、原告組合はこれに抗議し、団体交渉も行ったが、被告会社は、原告組合の要求に応じようとせず、結局、右会社案が強行された。

(三)  そして、同年五月ころ、右田村が被告会社を退職し、その後常務取締役の訴外三井亘が車両部長を兼務することとなったが、それ以来被告会社は、車両は会社の財産であり、車両担当者の決定は会社の専権であるとして、組合と配車協議を行うことなく、一方的に配車案を決定し、実施するに至った。

3、配車差別

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(一)  被告会社の車両には、前記のように貸切用に注文されたデラックスな車両から、冷房もなく、固定シートのいわゆる定期路線用の車両まで各種あり、その装備の組合わせによりこれを分類すれば、次のとおりAないしEの五種にランク付けされる。

(1) Aランク 冷房付、リクライニングシート、内外装上

(2) Bランク 冷房付、リクライニングシート、内外装並

(3) Cランク 冷房付、固定シート

(4) Dランク 冷房なし、リクライニングシート

(5) Eランク 冷房なし、固定シート

(二)  組合分裂前後以降、本訴提起後の昭和四七年末ころまでの配車状況は、別紙第一表記載のとおりであり、又昭和四三年度から昭和四五年度までの運転手の出張旅費の受領額は別紙第二表のとおりである。

(三)  第二組合所属の中村忠彦は、健康上の理由から本人の希望により、昭和四三年三月から出張のないライトバスの担当となり、同組合所属の山県正、能美隆幸、福田誠一は、その後それぞれ管理職に昇進した。

(四)  そして、これらの事実を基礎にして、配車に関する問題点を分析すると、次のとおりの事実が明らかとなる。

(1) 新車の台数と種類

組合分裂後に購入が決定された昭和四一年三月配車分以降本訴提起時まで(以下車両に関して比較する場合の期間は、原則としてこの期間とする。)に購入された新車は、二九台であり、ABランク車合計一〇台、Cランク車二台、Dランク車一台、Eランク車一六台である。

(2) 新車受領人数・回数の組合別比較

第二組合所属運転手については、昭和三七年九月入社の木原照夫まで、中村忠彦及び田原茂男を除く一七名が前記期間中に新車を受領しており、昭和四七年三月新車を受領した福村眞次を加えると、昭和三八年三月までに入社した運転手は、前記二名を除いて全員新車を受領している。そして、購入後一年以内の車両を新車に準ずるものとした場合には、福田誠一が三回、昭和三六年九月入社の又賀昇蔵までは各二回(但し、昭和三三年九月入社の丸井康孝は、昭和四〇年九月に新車を受領し、次いで昭和四四年九月新車を受領しており実質上二回である。)、昭和三六年九月入社の羽立哲夫以下前記福村眞次までは各一回(但し、木原照夫は、他に一回新車に準ずる車両を受領している。)新車若しくは新車に準ずる車両を受領している。これに対し、原告組合所属運転手は、昭和三八年三月までに入社した者は、岡田守、林倍男、及び原告運転手一〇名であるが、前記期間中に新車を受領した者は、林倍男及び原告阿部、同岡常雄、同松本、同伊賀崎の五名(いずれも一回)だけで、その余の七名の運転手は新車を受領していない(右期間中に原告阿部、同岡常雄、同松本、同伊賀崎に対し、各一回ずつ新車が配車されたが、その余の原告に新車が配車されなかったことは当事者間に争いがない。)。但し、原告伊賀崎、同竹丸は昭和四〇年九月に新車の配車を受けている。

(3) 担当車両のランクの組合別比較

前記二九台の新車のうち、A・B・C・Dランクの車両は、すべて第二組合所属の運転手に配車されており、又新車を配車されていない者でも、同組合員については、昭和四四年四月までに入社した運転手中、前記中村忠彦と最も入社の新しい原田寿を除いては、前記期間中に全員がEランク以外の車両の配車を受けている。これに対し、原告組合所属の運転手については、林倍男及び原告阿部、同岡常雄、同松本、同伊賀崎が受領した新車はすべてEランクの車両であり、又前記期間中にEランク以外の車両を担当した者は、Cランク車七四一号(昭和四一年三月購入)を昭和四四年六月から担当した原告阿部と同車を昭和四五年三月から担当した原告下川の二名だけである。

(4) 担当車両の引継ぎ等の組合別比較

担当車両の引継ぎ状況をみると、後に管理職となった山県正、能美隆幸、福田誠一を除き、第二組合員については、すべて先輩運転手から後輩運転手に引継がれており、後輩運転手が担当した車両を先輩運転手が引き継いで担当した例はない。これにひきかえ、原告組合所属の運転手については、後記のように、後輩の第二組合所属の運転手が担当していた車両を引継いだ例が相当みうけられる。

(5) 担当車両のランクの推移の組合別傾向

担当車両の車格の推移についてみると、第二組合所属運転手は、時期の経過に従い、おおむねEランクからA・Bランクへ、或いは、A・Bランク等上位の旧い車両からEランク等下位の新車へと車格が向上しているのに対し、原告組合所属の運転手は、前記期間中ほとんどEランク車の担当をしており、車格の向上ということはないばかりか、後記のように右期間以前にBランク車を担当していた者もEランク車などを担当させられ、かえって車格が低下している。

(6) 配車替えまでの期間

第二組合所属の運転手は、比較的短期間で配車替えになっており、長くても三年程度で次の車両へ配車替えされているが、原告組合所属の運転手は、四年ないし五年以上の間同一の車両を担当していた者も少なからずいる。

(7) 出張旅費の組合別比較

原告組合所属の運転手が昭和四三年度から昭和四五年度までの各年度に受領した出張旅費を、第二組合所属の運転手のそれと対比すると、別紙第二表によって明らかなとおり、特段の事情の存する同組合所属の運転手を除くと、原告組合所属の運転手は毎年最低位に集中している。そして、第二組合所属運転手が各年に受領した出張旅費は、各々の受領した給料(前記乙第九号証中の年間給与中には期末手当も含まれているものと解する)の半月分から一月分に近いものも相当あり、しかも、昭和四三年以降その割合は年を経るに従って上昇していることがうかがわれ、賃金総額中に占める比率は決して低いものではない(ちなみに、前記乙第九号証に基づき、いずれも下関営業所勤務の原告下川と第二組合所属の梅山義男を例にとって、年間給与に対する出張旅費の比率を計算すると、別紙第三表のとおり顕著な差異のあることが認められる。)。この点に関して被告は、賃金総額は大体入社順になっており、時間外手当の差により賃金の少ない者があるにすぎないと主張するが、時間外労働に従事する度合そのものも、被告会社の運便作成如何によって左右される要素があったことを一応考慮から除外するとしても、なお、貸切出張旅費の多少が運転手の総収入額の差となって表われていることは前記乙第九号証によっても明らかであるから、右主張は当らない。

そして、以上の事実関係を総合すると、第二組合所属の運転手に対しては、組合の分裂前と同様の基準に従って配車がなされているのに、原告組合所属の運転手は、これから排除され、貸切業務はほとんどなく、冷房もない普通車による定期路線運行の業務に専ら従事させられ、前記のような賃金面を含む労働条件の面で不利益な取扱いを受けていたものと認めざるを得ない。

≪証拠判断省略≫

4、被告の主張について、

(一)  被告は、貸切便の多い下関営業所所属運転手の多数が第二組合員であり、原告組合員の多い山口営業所は貸切便が少ないため、同組合所属の運転手が貸切業務に多く従事している結果となった旨主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、貸切便の多い下関営業所に所属する運転手中においても、原告組合所属運転手は第二組合所属運転手に比べて極端に貸切業務に出ることが少なく、一方、貸切便の少ない山口営業所においては、同組合所属の運転手が先輩である原告組合所属運転手ら以上に貸切業務に多数回っていることは明白であり、又山口営業所所属の運転手三浦広治の出張旅費の額は、下関営業所所属の第二組合所属運転手の出張旅費の額と比べて必ずしも低いものではない。要するに、被告の右主張は、それ自体、各営業所において所属運転手につき組合別に差が生じていることの理由とはなしえないのであるが、更に、事実の上からも、前記差異が所属営業所の違いによって生じたものでないことは明らかであり、右主張は失当である。

(二)  被告は、貸切に出るにあたって、第二組合所属のガイドと運転手は、同じ組合の者と組むことを望むという現実があり、ガイドは圧倒的に第二組合所属の者が多数であったから、前記差異が生じた旨主張するが、かような事実を認めるに足りる証拠はなく、また、このような点を考慮して配車及び運便作成すること自体、組合活動に対する支配介入とも目すべきものであり、かかる理由によって、配車差別を合理化することは許されないから、右主張は失当である。

(三)  被告は、顧客が運転手を指名してくることが多く、そのために第二組合所属の運転手が多数回貸切業務に従事することとなった旨主張するが、そのような事例が皆無であったとはいえないにしても、かかる事情により、前記配車差別のすべてを合理的に説明できるものとは到底考えられないから、右主張は失当である。

5、配車差別に関する労使関係の経過

昭和四五年一〇月八日、中央労働委員会において、事務局立会のうえ原告組合と被告との間に、「運転手に対する配車に関しては、会社は、組合の意見を聞いたうえ公平に実施する。」旨の覚書が作成され、昭和四六年一月一一日、同趣旨和解協定書が取交わされたことは当事者間に争いがないが、更に、右覚書及び和解協定書が作成されるに至った事情及びその後の状況につき検討すると、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  原告組合は、昭和四三年ころ、山口県地方労働委員会に対し、配車差別につき救済の申立をしていたが、同委員会は、新車購入の都度紛争が生ずることを回避するためには、配車基準を作成するのが適当であるとして、被告会社に対し、右基準案を作成して、原告組合と協議するように口頭斡旋をするに至った。そこで、被告会社は、昭和四四年一〇月六日の労使協議会において、「配車基準」なるものを提示したが、それ自体配車をするに当り考慮されるべき事項を羅列したにすぎないものであったため、より明確化を求める原告組合との間で交渉が続けられ、翌四五年二月二五日の労使協議会においても討議が重ねられた。その間昭和四四年一二月二二日、山口地方労働委員会において、「原告組合員を不利益に取り扱い、原告組合の運営に支配介入してはならない。」旨の救済命令が出されるに至ったが、原告組合は、右救済内容が不明確であるとして、中央労働委員会に対し再審査を申し立てた。

(二)  その後被告会社から和解申し入れがなされ、同年七月三日、下関市内において、労使の話し合いが行われ、その結果、今後は配車を公平に行い、両組合の意見を聞く旨の合意がなされ、右合意の趣旨は、同年一〇月八日付の中労委における覚書及び翌四六年一月一一日の和解協定書において明文化された。ところで、右話し合いの結果は、第二組合との関係等を考慮して、文言上は「配車は組合の意見を聞いたうえ公平に実施する。」との抽象的なものではあるが、話し合いの内容それ自体においては、組合の所属を考慮せず、経歴等を考慮して公平に行う旨の確認がなされていたものである。

(三)  その後被告会社は、新車購入に際し、原告組合に対し、その旨通知して意見を求めるようになったが、原告組合の意見はほとんど容れられず、前記認定のとおり本訴提起に至るまで、所属組合による配車の差別は一向に改められず、団体交渉においても、被告会社は、配車が労働条件であることを否定し、会社が最終的決定権を有する旨の原則的主張を繰り返してきたものである。

6、個々の運転手に対する配車状況とその影響

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  原告阿部治

原告阿部は、昭和二八年一一月に入社した山口営業所所属の運転手であるが、組合分裂以前の昭和三九年六月からBランクの新車四七一号を担当していたところ、その後実に五年間同車の担当をさせられたうえ、昭和四四年六月、それまで後輩の中田義治(昭和二九年七月入社)及び三藤武雄(昭和三二年四月入社)が順次担当していたCランクの七四一号車(昭和四一年三月購入)に配車替えされ、昭和四五年三月、新車を配車されたが、それはEランクの一五〇七号車であった。このように同原告は、後輩の担当した車両を引継がされたうえ、車格も順次下降した。しかも、概して貸切用にあてられるはずのB・Cランク車及び新車のEランク車を担当していたにもかかわらず、同原告の出張旅費は毎年低額で、山口営業所のうちでは、後輩にあたる第二組合所属のどの運転手よりも受領額が少ない。このような結果は、被告会社が運便作成にあたり、殊更同原告を貸切業務から排除したためと解せざるを得ない。

同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由は本件全証拠によるも認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(二)  原告藤田和男

原告藤田は、昭和二九年一月に入社した下関営業所所属の運転手であり、同営業所においては最古参に属する者であるが、組合分裂以前の昭和三九年四月からBランクの新車三九八号車の担当をしていたところ、その後約四年六ヵ月間同車の担当をさせられたうえ、昭和四三年九月、それまで後輩の梅山義男(昭和三一年一二月入社)が担当していたEランクの六三〇号車(昭和四〇年四月購入)に配車替えされ、次いで、昭和四六年九月、それまで後輩の藤井芳人(昭和三七年四月入社)及び木原照夫(昭和三七年九月入社)が順次担当していたEランクの一五〇八号車(昭和四五年三月購入)に配車替えされた。このように同原告は、組合分裂以後新車の配車を受けておらず、また、分裂当時配車を受けていたBランク車から後輩の担当していたEランク車に配車替えさせられ、第二組合所属の運転手に対する配車に比し極めて不当な取扱を受けており、出張旅費の受領額も極めて低い。

同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由は本件全証拠によっても認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(三)  原告岡常雄

原告岡は、昭和二九年三月に入社した山口営業所所属の運転手であるが、組合分裂以前の昭和三九年三月からEランクの新車三四六号の担当をしていたところ、四年間同車の担当をさせられたうえ、昭和四三年三月、それまで山県正(昭和二八年七月入社)が担当していたEランクの七四五号車(昭和四一年三月購入)に配車替えされ、昭和四五年九月Eランクの新車一六一八号の担当となった。このように同原告は、組合分裂以後Eランク車のみを担当しており、従って、出張旅費は毎年最低に近い。

同原告は無事故表彰を受けている程であって、技術的には他の運転手に比して劣るところはなく、このような取扱いを受けるべき合理的な理由は本件全証拠によっても認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(四)  原告林麻邦

原告林は、昭和三一年五月に入社した山口営業所所属の運転手であるが、組合分裂以前の昭和三九年一〇月からEランクの新車五二〇号を担当していたところ、その後約四年五か月間同車の担当をさせられたうえ、昭和四四年三月、後輩の三藤武雄(昭和三二年四月入社)が担当していたEランクの七四六号車(昭和四一年三月購入)に配車替えされ、同車を本訴提起後の昭和四七年末までひきつづき担当していたものである。このように同原告は、組合分裂以後一回配車替えさせられただけで、新車を受領しておらず、一貫してEランク車の担当をしていたもので、同原告の出張旅費の受領額は極めて低い。そして、時間外手当を含む年間給与と出張旅費との合算額においても、同じころ入社した第二組合所属の田村行満及び梅山義男と比較した場合、昭和四三年度で約四万円から五万円、昭和四四年度で約三万円から七万円ずつ少ない。

証人杉山繁は、同原告の運転態度に問題があり、技術も劣っていると証言するが、右は杉山証人がたまたま同原告の運転する車両に乗り合わせた際の印象にすぎないというのであって、到底責任ある者の勤務査定と目しうるものではなく、これをもって同原告に対する正当な評価とはなしえず、他に同原告につきこのような取扱いをすべき合理的な理由を認めるに足りる証拠はないから、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(五)  原告松本蕃

原告松本は、昭和三三年三月に入社した下関営業所所属の運転手であるが、組合分裂以前の昭和三九年一〇月からライトバス二〇七〇号を担当していたところ、昭和四三年九月、Eランクの新車一一七一号の担当となり、その後引続き昭和四九年以降まで同車を担当している。このため、同原告の出張旅費は極端に少なく、同じころ入社した第二組合所属の丸井康孝と比較した場合、時間外手当を含む年間給与と出張旅費との合計額においても明らかに少ない。この点につき被告は、同原告の収入が少いのは時間外手当が少いことに基因するものであると主張する。なるほど、前記乙第九号証によれば、同原告の昭和四三年度及び昭和四四年度の時間外勤務時間は右丸井より少いが、昭和四五年度においては、時間外勤務時間が同人より多いにもかかわらず、年間総収入において五万九、〇七五円少いことが明らかに認められるから、右主張は当らない。

同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由は本件全証拠によっても認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(六)  原告伊賀崎一雄

原告伊賀崎は、昭和三三年三月に入社した山口営業所所属の運転手であるが、昭和四〇年九月にBランクの新車六八七号を担当してから、実に五年六か月間同車の担当をさせられ、昭和四六年三月に至り、ようやくEランクの新車一七二〇号を配車された。そして、貸切用のBランク車及び新車のEランク車を担当していたにもかかわらず、同原告の出張旅費は、山口営業所のうちでは、第二組合所属の運転手より各年度とも少ない。このような結果は、被告会社が運便作成にあたり、殊更同原告を貸切業務から排除したためと解せざるを得ない。そして、時間外手当を含む年間給与と出張旅費との合計額を同じ年に入社した第二組合所属の丸井康孝と比較すると、昭和四三年度から昭和四五年度までの三年間に、それぞれ約五万円、八万円、五万円少い。

同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由は、本件全証拠によるも認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(七)  原告竹丸光男

原告竹丸は、昭和三三年九月に入社した下関営業所所属の運転手であるが、昭和四〇年九月からEランクの新車六八六号車を担当していたところ、約四年六か月同車の担当をさせられたうえ、昭和四五年三月後輩の小川信雄(昭和三七年四月入社)らが担当していたEランク九七三号車(昭和四二年九月購入)に配車替えされ、昭和四七年末まで同車の担当をさせられており、組合分裂以後は新車の配車を受けていない。そして、同原告の出張旅費の受領額は毎年少なく、時間外手当を含む年間給与と出張旅費との合算額においても、同じ年に入社した第二組合所属の丸井康孝と比較した場合、昭和四三年度から昭和四五年度までの三年間に、それぞれ約八万円、一三万円、一五万円少い。

同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由は本件全証拠によっても認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると原告組合に所属していたことがかかる取扱いを受けた理由であることは明白である。

(八)  原告下川寛

原告下川は、昭和三六年三月に入社した下関営業所所属の運転手であるが、入社以後本訴提起後の昭和四九年四月まで一三年余りの間全く新車を配車されず、昭和四五年三月にCランクの七四一号車(昭和四一年三月購入)を担当したほか、すべてEランク車を担当させられ、その間、同じ年に入社した運転手はもちろん、後輩の運転手までも順次新車を担当するのを見て、当時配車を担当していた三井常務に対し、直接その理由をただしたが、「辛抱してくれ。」といわれ、新車を配車する代りに、旧車両のシートを張り替える等改造をしてもらっただけであった。そのため、同原告の受領した出張旅費は毎年少なく、時間外手当を含む年間給与と出張旅費との合算額においても、後輩で昭和三七年入社の第二組合所属の小川信雄らより低い。

被告は、同原告が新車を配車されなかったのは、その勤務態度及び技能からみて配車基準に達していないためであると主張し、証人杉山繁の証言中には右主張に添う供述があるが、同証人もその具体的理由については何ら明らかにせず、右証言は信用できないし、他にこのような取扱いをなすべき合理的な理由を認めるに足りる証拠はないから、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(九)  原告福田毅

原告福田は、昭和三六年三月に入社した山口営業所所属の運転手であるが、同原告は、入社以後一度も新車を受領せず、組合分裂後はEランク車のみを担当し、本訴提起後の昭和四八年一一月以降、事故を起し、本人及び組合の要望もあって下車勤務になっているものである。

被告は、同原告が右のように下車勤務になったことから、同原告の技能等が劣っていることが明らかであり、そのため前記のような配車となっているかのように主張するが、証人杉山繁の証言によれば、同原告の勤務態度や運転技術につき、特に問題があったわけではなく、たまたま、昭和四八年一一月ころに事故が重ったため、前記のように下車勤務となったものであることが認められるから、右主張は当らないし、他に同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由を認めるに足る証拠はなく、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

(一〇)  原告横山彦一

原告横山は、昭和三八年三月に入社した山口営業所所属の運転手であるが、入社以来昭和四九年以降まで新車を受領しておらず(前記認定のとおり、第二組合所属の運転手は、昭和三八年三月入社の福村眞次に至るまで全員が、昭和四七年三月までに一回以上、新車の配車を受けている。)、入社以後一貫してEランク車を担当させられ(同営業所所属の運転手で同原告より入社の遅い第二組合員藤井生一は、昭和四五年三月及び昭和四六年一月の二回にわたってBランク車の配車を受けている。)、出張旅費の受領額も山口営業所において、毎年最低に近い状態にある。

同原告がこのような取扱いを受けるべき合理的な理由は本件全証拠によっても認められず、前記組合別比較の結果を考え合わせると、原告組合に所属していたことがその原因であることは明白である。

以上の事実に照らすと、原告運転手は、被告会社の差別的取扱いにより、職業運転手としてのプライドを傷つけられ、実質的な収入の面でも不利益を受け、また、冷房のない旧い車両ばかり担当させられたことにより、日常の運行においても、多くの第二組合所属の運転手に比して著しい肉体的、精神的疲労を強いられ、精神的に多大の苦痛を蒙ったものと認められる。

三、ガイド教習差別

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

1、被告会社では、従前より新入のガイドにつき、古参の車掌が指導することとし、教習係として古参の者を指名し、これらの者をバスの乗務から外し、営業所においてガイド教習の資料を準備整理すると共に、立案された教習計画に基づいて教習室で講義し、実地に指導する等の業務を遂行させていた。

2、原告岡文枝は、昭和三八年一〇月一日、車掌教養係に指名され、その後、同じく車掌教養係に指名された訴外福岡祥子と共に教習業務を行っていた。

3、ところが、組合分裂後の昭和四一年二月、被告会社は機構改革を行ない、車掌教養係を教養課教養係と改めたうえ定員を一名増加し、当時第二組合に所属していた訴外山本伊都子を任命し、同年春採用の新入ガイドについては、従来教習室で行っていた教習も商工会議所やトラックセンターの会議室を用い、専ら第二組合所属の前記山本及び昭和四一年夏頃原告組合を脱退して第二組合に移った前記福岡に指導させ、原告岡文枝を排除し、マンツーマン方式による実地研修も廃して原告組合所属のガイドとの接触を一切遮断した。

4、その後、昭和四二年度からは、原告組合所属のガイドの教習室として寮内の教習室を割当て、それまでの営業所内の教習室は、専ら第二組合所属のガイドの教習用に使用させることとし、原告岡文枝には、原告組合所属のガイドの教習のみを担当させた。

5、このように原告岡文枝は、組合の分裂後においては、ガイドの教習は組合別に行うという被告会社の方針により、専ら原告組合所属のガイドの教習しか担当させてもらえなかったため、やがて右ガイドは順次一人立ちして教習の必要がなくなり、それとともに同原告の教習担当時間も少なくなり、その分だけ乗務をすることが多くなり、教養係は名目だけとなり実質的には降格処分に付されたと同様の状態となった。

以上の事実に照らすと、原告岡文枝は、被告会社の組合所属を理由とする差別取扱いの結果として、担当すべき職務を不当に制限せられ、職務にふさわしい取扱をうけるべき期待感情を害され、精神的に多大の苦痛を蒙ったものと認められる。

被告は、このように組合別教習を行ったのは、原告岡文枝が、教習中に組合活動をなし、第二組合所属の受講者から非難の声があがったためであり、教習生の希望によるものであると主張するが、この点に関する証人杉山繁の証言は、たやすく措信できず、また、仮にかかる事実があったとすれば、被告会社としては、同原告に対し、そのようなことのないよう注意すると共に、場合によっては教養係としての適格を審査する等の措置をとるべきであり、このような組合別教習というが如き組合活動への支配介入にわたるような行為をなすべきでないことはいうまでもないから、右主張は失当である。

四、被告の責任

以上認定のとおり、被告会社は、原告運転手及び原告岡文枝に対し、原告組合に所属することを理由として配車差別及びガイド教習差別を行い、その結果として同原告らに対し、多大の精神的苦痛を与えたものであるが、その内容たるや、使用者の従業員に対する契約上の地位を甚だしく逸脱し、右原告ら各個人の人格及び名誉をいたずらに傷つけるものである。

ところで、労働組合は、労働条件の維持・向上等を目的として結成された自主的組織であって、使用者との関係において、対等の交渉当事者として労働者の地位向上のため活動することが保障され(労働組合法第一条第一項、第二条参照)、更に、使用者による支配介入行為は、その自主性を損うものとして固く禁止されているのであるが(同法第七条第三号)、被告会社のように同一企業内に複数の労働組合が存在する場合、一方の組合員多数に対し、同組合に所属することのみを理由として他方の組合員に比し不利益な取扱いをなすことは、ひいては労働組合に対する支配介入行為となるのであって許されず、かような意味において、各労働組合は、合理的な理由のない限り、他の組合より不利益な取扱いを受けないという労働法上の保障規定によって保護されるべき法律上の利益を有するものと解されるところ、被告会社による前記差別的取扱いは、原告組合の右法律上の利益をも侵害するものである。

しかして、右差別的取扱いが長期間にわたって継続されていること、その間、前記認定のとおり、労使間の交渉及び労働委員会の斡旋の結果、被告会社と原告組合との間に改善のための合意が成立したにもかかわらず、被告会社が実質的にこれを無視していること等の事情を考慮すると、被告会社は、原告らの原告組合への所属と同組合の組織の拡大を嫌悪して、故意に右差別的取扱いをなしたものと認められ、これは、一面において労働組合法第七条第一号、第三号に該当する不当労働行為であると共に、他面において民法第七〇九条の不法行為であり、被告会社は、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

五、損害

1、原告運転手について

原告運転手は、前記認定のとおり差別的取扱いを受けた結果、精神的に多大の苦痛を蒙ったものであり、前記認定の諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛を慰謝するためには、原告運転手につき各金一〇万円が相当であると認める。

2、原告岡文枝について

原告岡文枝は、前記認定のとおり差別的取扱いを受けた結果、精神的に多大の苦痛を蒙ったものであり、前記認定の諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛を慰謝するためには、金一〇万円が相当であると認める。

3、原告組合について

≪証拠省略≫を総合すると、原告組合は、被告会社による前記差別取扱により、固有の団結権を侵害され、その組織の拡大を妨害され、組合結成の目的の達成を著しく阻害されたことが認められる。そして、原告組合が蒙った右損害は無形の損害であるが、これは、金銭をもって賠償させるのが至当と考えられるところ、前記認定の諸般の事情を考慮すると、その額は金五万円が相当であると認める。

六、結論

以上の次第であるから、原告組合の債務不履行に基づく請求につき判断するまでもなく、被告は、不法行為による損害賠償として、原告組合に対して金五万円、その余の原告に対して各金一〇万円、及び右各金員に対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年二月三日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告らの本訴請求は、右金額の限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、仮執行の宣言の申立については相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大須賀欣一 裁判官 梶本俊明 野田武明)

〈以下省略〉

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